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金子浩一さんのメモより②

なぜ気文化なのか 

 

では、なぜ気と呼ばれるものに世界を変えていくような力があるのでしょうか。テレビで、スピリチュアルに関連する番組がヒットして、スピリチュアルもすっかり社会権を得て来た感もありますが、まだまだ霊とか非科学的なものは信じないという人も多いのではないかと思います。ただ、霊とか言わなくても、心とか魂とかいう言葉は何となく理解できる、という方は以外と多いのではないでしょうか。最近は、科学の発達とともに、心は脳の働きに過ぎず、脳科学で証明できるといった風潮もありますが、同時に科学的に全てを分かるとは思っていない人も多く存在し、宗教やスピリチュアルという分野も、多くの人を集めています。死後の世界はない、と言いながら、死を前にして宗教に興味を持ち出す人も多いと思います。 

 

私は、気とは物質世界とスピリチャルな世界とを結びつけるものだと思っています。スピリチャルな世界は、気という媒体を通して、初めて物質世界に影響を及ぼせるのです。それは、あたかもクルマがタイヤで地面を捉えて初めて前に進めるように、霊とかスピリチャル的な存在は、人間も含めて、気という媒体を通して初めて物質世界に影響を与えることができると、私は考えています。 

 

気文化の意味: 実用的側面より 

 

日本ではあまり有名ではありませんが、欧米では有名なスピリチャルリーダーの一人であるスチュワート•ワイルドは、「色々なスピリッチュアルの手法を試したけれど実用的なものは、気のエネルギーの活用しか無かった」といって『クイックニング』という手法を提唱されています。 歴史的にみても、神々とか霊的存在が直接物質的現象を起こしたことはあまりありません。イエス=キリストの奇跡で多くの群衆にパンや魚を配ったというのがありますが、ギリシャの神秘思想家ダルカロスは、これはエーテル、日本でいう気の領域で実現されたものだと述べています。また、イエスの死後の復活が、エーテル=気の領域で起きたことではないかというのは、多くの霊的研究者が指摘していることでもあります。 史実に残る霊的な現象にしても、天候のコントロールや病気治しというものが多く、あまり直接的に物質に影響を及ぼすものはありません。後で説明しますが、天候のコントロールや病気治しというのは、気のレベルが最も得意とするところです。 

 

気文化の意味: 歴史的背景より 

 

多くの方は、シュタイナー教育という言葉を聞かれたことがあると思います。ドイツの神秘思想家シュタイナーが提唱した教育法で、今や世界中に広がっています。彼の教育法は、人間が、肉体の他に気の体、感情の体、思考の体という体を持っており、肉体が0~7歳、気の体が8~14歳、感情の体が15~21歳、思考の体が22~28歳に成長するという思想を背景に構築されており、他の教育法とは一線を画すユニークなものになっています。 人間の体の成長がもしそうであるなら、社会の進化もそうではないかと、私は考えています。肉体の体、すなわち物質文明が成熟して次にくるのは、気の体、気の文化•気の文明の時代ではないでしょうか。そして、それを象徴するかのように、現代には気に関する情報が世界中に広がっています。マンガやアニメの中では、気を操る主人公達が活躍し、全世界の子供達を熱狂させていますし、大人の世界では風水によるビジネスの発展を真剣に考えていたりします。太極拳や合気道といった気を扱う武道は、単に武道としてだけではなく、健康法としても世界的に広がっており、気=エネルギーの高い場所であるパワースポットや、気=エネルギーの高い宝石であるパワーストーンは日常生活の中にとけ込んでいます。そして、これらは、スピリッチュアルが社会的に認知を得た、というよりはるかに広く、全世界レベルで広がっています。 

 

気文化の意味: 普遍性、安全性について 

 

アセンションを迎えて、人の霊的能力が覚醒するという話もありますが、2012年の現在でも、霊的能力という話でいえば、そういう能力が目覚めているという人は、100人に1人とか1000人に1人とかいったレベルではないでしょうか。 さらに悪いことには、自分で目覚めているとか、能力があるといっている人の多くが、思い込みであったり、唯我独尊で実用に耐えないレベルであったりします。私は、霊的な情報を扱う場合、かならず2人(自分も含めて)以上で情報をとって検証しながら利用するようにしていますが、そういう検証に耐えれる能力者はかなり少数です。 でも、気のレベルなら違います。私の感覚では、10人中7~8人ぐらいは簡単に使えるようになります。使えないのは、トリックを見破ってやろうとやっきになっている人とか、自分にはそういうことができないと、強く思い込んでいる人ぐらいです。みんな自分で感覚が分かりますので、人の言っている感覚が分かりますし、変な話にだまされることもありません。


 

金子浩一さんのメモより

 

はじめに 

 

2012年に大きな変化が起きる、とか場合によっては世界が終わる、みたいな話が言われています。もともとマヤ暦というネイティブ•アメリカンの暦が、2012年に終わることがきっかけとなって広がった話ですが、宇宙人とか霊からの情報を取ることができるという人たち、いわゆるチャネラーという人たちも同様な話をはじめたために、広くこの説が広がることになりました。ただ、その変化についての捉え方は人によって様々であり、普通の常識ではあまり理解できないものも多く存在するため、まだごく一部の人だけが真剣に信じているという感じではないでしょうか。 

 

ただ、普通に世界の現状を見ても、国家間の争い、経済問題、エネルギー問題など、世界が曲がり角に来ていることは、明らかだと思います。この様々な課題に対し、人類が今までと同じようなあり方でクリアして行ける、と考える人は少ないのではないでしょうか。そういう意味で、大きな変化が起きるというより、大きな変化を起こさないと人類に未来はない、と言っても良いかも知れません。 

 

アセンションという言葉も最近はよく耳にします。次元上昇と訳される言葉ですが、大雑把にいうと人類が一段と高いレベルに進化するという説です。人類は、進化することによって初めて、現在直面している課題をクリアできるとすれば、この説もあながちデタラメとは言えないかも知れません。 

 

では、ポイントはどういう進化をするか、ということになるかと思います。そして、それが、この文の主題でもあります。私は、それを『新しい気文化』の登場と捉えています。それについて、これから詳しくお話をさせて戴きますが、『気』とかいうと、病気治しとか、武道とかしか連想できない人が多く、『なんだ、ただの病気治しか』みたいな反応をする人もいるのですが、そうではなく、社会や人類を根本的に変えていくものです。 

 

昔、インターネットがまだ普及していなかった頃、私が知人にインターネットでホワイトハウスの情報を紹介したところ、時間がかかり過ぎて使いものにならない、という感想を持ったと言っていました。しかし、それから10年以上たって、インターネットが世の中を変えているのをみて、その時の感想は誤りだったと言っていました。 

 

この『新しい気文化』についても同じようなことが言えるのではないかと思います。現時点では、良く分からないかも知れませんが、10年後、20年後、世界を大きく変えて行くでしょう。そして、それは人類の様々な課題を解決しながら、楽園のような世界を創り出して行くと私は信じています。 

 

では、その『新しい気文化』について、詳しい話をみて行きたいと思います。 

ホッパー

やっと弊社HP内のホッパー、シュート、タンクのコンテンツ内のステンレス製のホッパーの写真にコメントを付しました。
http://www.tamayama.co.jp/contents/best3/hopper/

今後、どんどん追加していきたいと思います。
似たような部品でお困りの会社様がいらっしゃいましたら、京都伏見の玉山工業にお問い合わせください。

 

雑記 2012/01/26

2012年になってからもうすぐ1ヶ月が経とうとしております。

寒さと乾燥のせいか弊社では風邪が流行っておりましたが、やっと本調子に戻りつつある者も出てきました。
私は、かれこれ2週間ほど長引かせており、基本的な体力が年齢とともに弱っているのかなと悩んでいる次第です。

さて、今回は私の学生時代の先輩の言葉を紹介してみようかと思います。
私は、男子だけの学生寮におりましたので、他の一般学生よりは上下関係が厳しい組織にいたと思います。
先輩が自分たち(後輩)に対して、一見不条理なことを言っていると感じたこともしばしばありました。

そんな中で、当時リーダーだった2つ上の先輩が総会で次のような言葉を言ったんですね。
「無理なことと思ってもしてみてほしい。ただし、無茶なことはしなくていい。」

無理と無茶というのもイメージはできるものの、言葉単体での正確な定義は微妙なところがあります。
ネット辞書(goo)によると、以下のようになっています。
 無理:①物事の筋道が立たず道理に合わないこと。また、そのさま。
     ②実現するのがむずかしいこと。行いにくいこと。また、そのさま。
     ③しいて行うこと。押し切ってすること。また、そのさま。
 無茶:①筋道が立たず、道理に合わないこと。また、そのさま。
     ②程度がはなはだしいこと。また、そのさま。
     ③知識がないこと。また、そのさま。

以上のように、無理の①と無茶の①は完全に重複しております。
今回は、先輩は無理を①、無茶は②として考えてみたいと思います。

つまり、
「(先輩からの命令が)物事の筋道が立たず道理に合わないと思っていても実行してみて、
あまりにも筋道が立たず道理に合わないと思った場合はする必要はない。」
と置き換えることが出来ます。
無理なことが究極的になると、無茶になるという仮定です。


何でこの言葉を紹介したのかというと、業務中に上司の指示を受けたときに、
無意味であるとか効率が非常に悪いと感じることがあります。
ただし、その指示は、時間が経過し役立つこともあるし、そのことを疎かにしたことによって問題が発生してから、
指示内容の必要性の理解が出来ることが多々あります。

「木を見ずに森を見よ」という言葉がありますが、経験や知識がある方が森を見やすいし、
少なくとも一般的には部下よりも上司のほうがそうある可能性が高いでしょう。

実際に森を見てるつもりでも、木しか見てなかったことに気づくと(特に指示を疎かにしていた場合は)
非常に悔しく情けない気持ちになってしまいます。
人は、プライドも感情も持っていて当然だし、それがあまりにも欠如していても問題だとは思いますが、
自分と他人の可視範囲は比較検討しながら、それぞれの意見を自分の中で整理しなければならないかもしれません。

本当に自分が専門的知識を持っていることに対する変更指示や、周りに迷惑をかけることなどは、最初に言っていた無茶に該当するでしょう。

ですが、先輩の言葉をふと思い出し、多少納得していなくても、もう少し無理なこともしてみようかと思った次第であります。

なお、その先輩と先日会いましたが、学生時代よりも30kg程太っていて、無理なことしすぎるのもやはりよくないなと思いました笑

(文責:capm)
 

NC旋盤(シャフト/ネジ/溝入れ/内径/外径/リピート品に)

NC lathe.jpg

写真のNC旋盤を昨年末に導入いたしました。
旋盤は、弊社が今年最も強化したい部門の1つであります。

旋盤加工があれば是非お気軽にお問い合わせ下さい。

メタ認知

 先日、知人と飲んでいる時に、面白いキーワードを教えてもらいました。

 そのキーワードとは「メタ認知」です。Wikipediaによると、「メタ認知(メタにんち)とは認知を認知すること」となっています。認知を認知するというのは、知っていることを知っていると言い換えることが出来ます。哲学者ソクラテスの「無知の知」は、知らない(という)ことを知っているということであり、こちらもメタ認知であると思います。

 メタ認知能力は高ければ高いほどよいそうです。

 身近な具体例を一つ考えてみたのですが、普段Aさんが行っている仕事をBさんに依頼したとします。Aさんは普段からその仕事を行っているわけですから、目的や前提条件や留意点など当然知っています。Bさんはそれらのことを知りません。AさんとBさんのその仕事における認知の違いをAさんが把握(認知)していないと、Bさんがその仕事を遂行するために伝えておかなければいけないことを伝えきることが出来ません。つまり、Aさんが自分はその仕事について周りの人と比べてどれだけ知っているかということを自分自身で認識していないと、今回の仕事はうまくいかないということです。

 そういえば、学生時代に「○○さんは賢い。」と先輩が言っていたので、「どう賢いんですか?」と聞いたら、「知らないことをすごくわかりやすく教えてくれる。」と言っていました。これは、○○さんのメタ認知能力の高さに依るものではないでしょうか。

 メタ認知能力を頑張って高めていこうと思っているのですが、中々難しいです。何かいい方法があれば教えてください(笑) 

(文責 capm)

雑記

 こんにちは。
㈱玉山工業のHPを見ていただいてありがとうございます。

 このブログでは若手社員数名で、特に事業内容とは関係ないことをつらつらと書いてみようかと思います。

 さて、初回のブログなのにいきなり本題に入りますが、今回は僕の好きな言葉(のうちの一つ)を以下に紹介してみようと思います。

「停滞は死滅である」

 もはや説明は不要であると思いますが、偉大なる政治家であり、早稲田大学の創設者でもある大隈重信公の言葉です。

 僕のこの言葉に関する最初の理解は、
「停滞という言葉を言い換えると死滅とも言える。」といった解釈でした。

 しかし、最大の要点はそこではなく、停滞(原因)が死滅(結果)を招くという意味ではないでしょうか。

 すなわち、
「結果として停滞するのはやむを得ず(肯定も否定もしていないと思いますが)あり得るけれども、結果に至るまでのプロセスにおいて停滞していると、もはや結果として衰退していき、最終的には死滅してしまう。だからこそ、常に置かれている状況下で最善と思われることを考え、実行すべきである。」ということが言いたかったのではないかと思います。

 企業は社会の一員であり、国家という単位であれば国際社会の一員です。属するコミュニティが、どのように変化するかを常に捉え対策を練らないと、コミュニティでの相対的地位は低くなり、影響力は最終的にはなくなってしまいます。実際に一世を風靡した名だたる企業でさえも現実に倒産していることから、この「停滞は死滅」というのは歴史が証明していることは言うまでもありません。当時は明治維新が起こって、日本社会がめまぐるしく変化している真っただ中だったと思うのですが、グローバル化やITの発達などをはじめとして、今現在もまさに同じことが言えるのではないでしょうか。ある種のパラダイムシフトが起きている今、状況に嘆くことなく、ポジティブ思考で頑張りたいと思います。

 長くなってしまいましたが、日頃の雑感を更新していきたいと思いますので、HPと併せまして弊社のスタッフブログも宜しくお願いします。

 (文責 capm) 

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